Pantera(パンテラ)

1981年にアメリカ合衆国テキサス州ダラスで、ヴィニー・ポール(Dr)とダイムバッグ・ダレル(gu)の兄弟によって結成されたヘヴィメタルバンド

ヴィニー・ポール (Vinnie Paul) (Dr)


■ヴィニー・ポール (Vinnie Paul, 1964年3月11日) (Dr)

≪概要≫

1981年に始動し、2003年に解散したヘヴィメタルバンド、パンテラのドラマーとして有名。

パンテラの解散後、ダレルと共にヘヴィメタルバンドダメージプランを結成して活動していたが、2004年12月8日、オハイオ州コロンバスの「アルロサ・ヴィラ」というナイトクラブでの公演中に、パンテラの熱狂的ファンの男に銃撃されるという事件が発生。この事件の際にダレルが頭に銃弾を受けて死亡。また、ヴィニーも肩に銃弾を受けている。

ダレルが死んだ事でダメージプランは活動停止(事実上の解散)となり、実弟の死によって長い間激しく落ち込んでいたが、2006年にヴィニーはマッドヴェインとナッシングフェイスのメンバーと共に、新バンドヘルイェーを結成した事を発表(2007年にベーシストのジェリー・モンタノが脱退し、後任に元ダメージプランのボブ・ジラが加入)。

現在はヘルイェーの活動以外にBig Vin Recordsという自身が立ち上げたレコード会社を経営している。



≪演奏スタイル≫

ギターサウンドに負けない強烈な存在感のあるドラミングが特徴。大きいサイズのドラムセットを使っている事でも知られ、ギターやベースの音に負けないくらいの存在感を放っている。彼のスタイルは現在も数多くのドラマーに影響を与えている。



≪機材≫

Pearl社製のドラムセットを主に使用している。また、彼のモデルのスネアドラムは市販されている。


レックス・ブラウン (Rex Brown) (B)


■レックス・ブラウン (Rex Brown, 1964年7月27日) (B)

≪概要≫

元パンテラ、元レベル・ミーツ・レベルのベーシストであり、現在はレックスと共に当時パンテラに在籍していたヴォーカリストのフィル・アンセルモが始動したヘヴィメタルバンド、DOWN(ダウン)で活躍している。

パンテラとDOWN以外の活動ではカヴァレラ・コンスピラシーやジェリー・カントレル等の他アーティストの作品やライヴにゲスト参加している。



≪演奏スタイル≫

レックスは元々ジャズベーシストであり、ロックやヘヴィメタルのみならず、ジャズからの影響を受けたアプローチが演奏に強く現れている。パンテラでは「Walk」のような重圧感の強い曲や「Fucking Hostile」等のスピーディーな曲を正確に力強くピック奏法で演奏するスタイルは、ヘヴィメタルに限らず多くのロック、パンクベーシストにも多大な影響を与えている。



≪機材≫

機材は主にスペクター社製のシグネチャーモデルの「REX Bass」、ギブソン・サンダーバードベースを使用している。 アンプは主にAmpeg社製のヘッドアンプをキャビネットに接続して使用している。


ダイムバッグ・ダレル (Dimebag Darrell) (G)


■ダイムバッグ・ダレル (Dimebag Darrell, 1966年8月20日 - 2004年12月8日) (G)

≪経歴≫

彼の父親はカントリーの作曲家で、テキサスのパンテゴという町にレコーディング・スタジオを所有していた。そしてそこで彼は多くのブルース系ギタリストの演奏を聴き、その影響は多くのパンテラの曲に反映されている。12歳の時にギターを弾き始め、若くして州全体のギター・コンテストで7回ほど賞を受賞する。16歳の頃になると「コンテスト荒らし」の異名を取るようになり、最終的には主催者側からコンテストへの出場を禁止され、その代わりに審査員を頼まれたという経緯から、当時からギターの上手さは群を抜いていたと言える。これらのコンテストで獲得した景品の中には後にパンテラでトレードマークとなる稲妻ペイントのディーン製ギター、ランドールのアンプ、ジャクソンやESPのギター等があった。

「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をマスターしたのをきっかけに、本格的にギターの世界に足を踏み入れるようになる。主に影響を受けたギタリストとしては、エドワード・ヴァン・ヘイレンやエース・フレイリー等を挙げていた。

ギター雑誌の広告や読者投票で紙面に頻繁に登場するようになり、ヘヴィメタルギタリストの人気投票でも常に上位にランクインした。長期間にわたって雑誌「ギター・ワールド」のコラムを著し、それは「リファー・マッドネス」として出版された。

ダイムバッグと彼の兄であるヴィニー・ポールは、パンテラが解散した後にパトリック・ラックマン、ボブ・ジラと新たなバンド、ダメージプランを結成し、彼らのデビューアルバムは2004年のチャートで38位にランクインした。

赤く染めた胸まで届くほどの長いヒゲがトレードマークであり、パンテラのライブには毎回必ず一人は彼のようにヒゲを伸ばした観客がいたという。また、彼がヒゲをピンクにしているのを真似している観客も多数いた。



≪音楽性≫

パンテラでは変則チューニングを採用し、重い音を出すことに成功している。よく「全弦1音下げ」(E音がD音に下がる)と言われる彼のチューニングであるが、これは誤りであり、実際はA音を400Hzにあわせてチューニングしている(通常はA音=440Hzもしくは442Hzというのが一般的)。よって厳密には1と1/4音下げに近い。

パワーメタルを得意とする一方でブルースやジャズへの造詣も深く、ソロを弾く時の手の形はいわゆる「クラシック形式」といわれる、親指をネックの表側に出さないスタイルである。これは彼の父親譲りで、ランディ・ローズのポスターを見て覚えたとも話している。また、ソロの速弾きにはハンマリングやプリングなどのレガートを多用する。速弾きだけでなく、ワーミーを用いたトリッキーなソロ、ミドルテンポのブルージーなソロなど、テクニカルでかつ幅の広い演奏力を誇る。

ダレルはトレモロアームを多用し、「ハーモニクススクウィール」と呼ばれるエレキギターのハーモニクス音を自在に操り、あたかもワーミーペダルを使用しているのではないかと思うほどの強烈な超高音域の音を出すのを得意としている。また、その際通常はアームをピックアップ側に向けて使用するがダレルはボディーエンド側に向けて使用する。

前述のランドールのアンプを長らく使用しており、ダレルと言えばランドール、ランドールといえばダレルというイメージが出来上がっていたといっても過言ではないほどである。ランドールの特徴としてはパワーアンプに真空管を使用しないソリッドステート型のアンプであることが挙げられるが、ダレル自身も「ビルから落としたってビクともしない」と絶賛していた。しかし実はそのダレルも真空管(チューブ)型のアンプ (KRANK) へ鞍替えしようとしていたという事実が彼の死後に明らかになっている。

ダレルは長らくDEAN社製のギター「ML」を使用していたが、後にワッシュバーン社製のオリジナル・モデルへと移行した。しかし死後、実はDEANで自身がデザインした新しいモデル「Razorback」を製作していたことが明らかになった。本人が使用することができなかったRazorbackは、親友のザック・ワイルド、エディ・ヴァン・ヘイレン他数々のアーティストに引き継がれ、現在も様々なバリエーションが市販されている。



≪悲劇的な最期≫

2004年12月8日、ダレルはオハイオ州コロンバスの「アルロサ・ヴィラ」というナイトクラブで、ダメージプランのパフォーマンス中に殺害された。犯人はオハイオ州メアリーズヴィル(コロンバス郊外)出身で25歳の元海兵隊員、ネイサン・ゲールという男である。

コンサートが始まってすぐの午後10時頃、男はナイトクラブに入って来た。そのまま下手(ステージの左側)から入って反対側の上手(ステージの右側)まで進み、至近距離からベレッタのピストルでダレルの頭部にめがけて発砲した。あまりに唐突な事件であったため、誰もこの最悪の事態を回避することができず、またオーディエンスの中にはライブの演出と勘違いする者もいたという。男はピストルを乱射し、合計で15発もの弾丸を発射、ダレルはそのうち4発を撃ち込まれて絶命した。他にも客や警備員などの3人がこの時の発砲で死亡し、2人が負傷している。ネイサンが凶行に使用したピストルは、彼の母親からプレゼントされた物である事が後に発覚した。

ネイサン本人も、その直後に駆けつけた警察官によって射殺されている。犯人が死んでしまったため、何故このような事件が起きてしまったのかは、現在でも分かっていない。

この日は奇しくも、同じく拳銃で射殺されたジョン・レノンの24回忌に当たるが、それがネイサンの行動の引き金となったかどうかは分からない。ただ彼の自宅からは、“ダレルがパンテラを解散させた”ことを恨んでいたと記された日記が発見され、事件中にもそうした内容の言葉を叫んでいたという証言がある(さらに「パンテラの曲は俺が書いた物で奴等が盗作した」と友人に度々語っていたとも言われている)。後にネイサンがかつて統合失調症によって精神病院に入退院を繰り返していた事も明らかになった。

この事件は、ロック界全体に大きな衝撃と悲しみを与え、ザック・ワイルドやケリー・キングなど親交のあった多くのプレイヤーが悲痛なコメントを残している。後にダメージプランのメンバーはチャリティーライヴを行った。この他にも追悼イベントが開催された。しかし、会場に来ていたベーシストのレックス・ブラウンは入場を断られている。ヴォーカルのフィル・アンセルモは遺族から来場を事前に断られていた。フィルはこの事件によるショックにより、引退を匂わせるコメントを寄せ、その後暫く"DOWN"で活動再開するまで音楽シーンから姿を消してしまう。

後に遺族がセキュリティ上の不備からこの事件が発生した物と断定、アルロサ・ヴィラを提訴(民事損害賠償)している。また、ダメージプランのパトリック・ラックマンは、今はこの事件に関して語る事は少なくなった。本人は「BURRN!」誌のインタビューに対し、「もうあの事件から遠ざかりたいんだよ」とこぼしている。


フィル・アンセルモ (Philip Anselmo) (Vo)


■フィル・アンセルモ (Philip Anselmo, 1968年6月30日) (Vo)

≪来歴・人物≫

1968年にルイジアナ州ニューオーリンズに生まれる。もの静かで従順な少年だったという。 地元でバーを経営していた父親に虐待がかった育てられ方をされたと本人はインタビューで言及しており、そのこともあるためか、そのことが後の作詞や、ヘロイン常習のきっかけになったともいえる。 少年時代にいくつかのバンドに参加しており、その実績や実力からフロントマンとしての評判も良かった。

そして1987年、テキサスのバンド、パンテラはよりヘヴィかつアグレッシブなサウンドを採用し始めていたことからボーカルが脱退、新しいボーカリストを捜していたところにアンセルモは採用された。 以後、長らくパンテラのメンバーとして音楽界に衝撃をあたえることに貢献した。 しかし、バンド全盛期だった90年代中頃、パンテラのショーの後、彼はヘロインの過剰摂取により心停止状態に陥り、生死の境をさまようものの奇跡的に一命を取り留めた。 が、このことによりパンテラ内のメンバーと関係が悪化して行き、よりいっそうメンバーとの溝が深まってしまった。

2000年には、メンバー関係がいいとは言えない状態で制作したアルバム「REINVENTING THE STEEL (邦題:激鉄)」をリリース。 だが以前から参加していたサイドプロジェクトのスーパージョイント・リチュアルやDOWNに費やす時間が増えて行き、行き詰まったメンバー関係、特にダイムバッグ・ダレルとヴィニー・ポール兄弟との確執が深まり、最早それが修復不能に達し、このアルバムを最後としてバンドは解散。

以後、元メンバー(特にギタリストのダイムバッグ・ダレル)との確執の勢いが増し、ダレルに対しては脅迫的な発言をすることもあった。

だが、パンテラ全盛期当時のビデオ映像などで垣間見ることができる、オフショット、インタビュー映像などからわかるように、ファンにとても優しく、メンバーへの気遣いにも富んでおり、元々は心優しい人物である。

2004年にダレルが銃撃され死亡したときには、それまでの対立関係から葬儀に参加させてもらえなかったり、そのことについて一週間音信がなかったりということでマスメディアなどから非難を浴びたが、 公式に声明を発表したとき 「きちんとした形で別れを告げられず、本当にダレルに悪いと思うし、胸が痛む。葬儀には本当に行きたかったが、行かせてもらえず悔やんでいる。だが俺は家族から望まれていない。だけど俺と奴は本当に親友だった。あいつは最高なマザーファッカーだったよ。彼の冥福を心から祈る。」 と、今までのダレルに対する念を言い、そして彼と和解できなかった事を悔やんでいることから、本当はダレルはアンセルモにとって親友であり、兄弟のような大事な存在だったことが伺える。この発言の発表後、ヘヴィメタルシーンから引退を示唆する発言をしていたが、後に撤回した。

また、解散直後から「アンセルモとダレルの2ショットをもう一度見たい」と再結成を要望する声も非常に多く、当時の若者たちに計り知れない影響を与えるとともにダレルとアンセルモのコンビイメージがファンの間でも強かったことが伺える。

ちなみに現在在籍しているバンド、DOWN(ダウン)のベーシストは元パンテラのベーシストのレックス・ブラウンである。


特撮のゴジラの大ファンで、ゴジラやモスラ、ガイガン等の怪獣のフィギュアや映画のビデオ、映画のサウンドトラック等のグッズをプレゼントされた際にはまるで子供のようにはしゃいで喜んでいた。



≪プレイスタイル≫

シャウトやハイトーンなどの咆哮系を前に出しつつも、バラードなども歌い上げる高い歌唱力を持つ。 また、パンテラ在籍時はパンテラの最大の特徴でもあり、武器でもあった重いグルーヴ感をさらに増させるようなヘヴィな歌声と吠えるような声で当時のヘヴィメタル界に衝撃を与え、 他のバンドメンバーとともに一躍、当時のメタルシーンの頂点に立った。 またそのような新しく、パワーメタルの文字通りのルックス、立ち振る舞い、音楽性は後のヘヴィロックアーティストに多大な影響を与えた。


音の特徴


1990年代以降のパンテラの特徴として、ギターとバスドラムの音が挙げられる。基本的にはエクソダス等のスラッシュ・メタルの影響下にあるものだが、さらに極端に過激でありながら聴き心地の良い音を出している。従来スラッシュ・メタルのギターサウンドではハイゲインのチューブ(真空管)ギターアンプ(マーシャル JCM-800、メサ・ブギーMark-C等)が一般的であったが、パンテラはソリッドステート(トランジスタ)アンプのランドールRG-100を使い、それまでのスラッシュ・メタルよりも切っ先鋭いギターリフを刻んでいた。またファーマンのパラメトリックイコライザーも重要な役割を担っており、400〜500Hzが持ち上がった(逆に1kHz付近は若干カット)中低域の太いギターサウンドでもあった。

『鉄板の上でゴム鞠をついた様な』とも形容されることがあるバスドラムは、手数の多い楽曲でも演奏が判別出来るようにアタック音が極端に強調された音で、さらにドラムトリガーを使用することにより50Hz付近の超低音域を補正、ギターサウンドに負けない強力な存在感のある音になっている。

なおこれらの音はサウンドガーデンやデフトーンズとの仕事でも知られるプロデューサーのテリー・デイトと協力して作り上げた。


経歴・概要


1981年にアメリカ合衆国テキサス州ダラスで、ヴィニー・ポール(Dr)とダイムバッグ・ダレル(gu)の兄弟によって結成されたヘヴィメタルバンドである。1982年にレックス・ブラウン(Ba)が、1987年にフィル・アンセルモ(Vo)が加入し彼らが最も商業的に成功した時期のラインナップが出来上がる。これは解散までの16年間続く。

初期においては1970年代のキッスやヴァン・ヘイレンに影響を受けた比較的オーソドックスなHMバンドであったが、1980年代に音楽性が変わったと見られる。これにより彼等は後にヘヴィメタルのサブジャンルである「グルーヴメタル(Groove Metal)」の確立者となる。1990年、メジャーデビューとなるアルバム『Cowboys from Hell』をリリースするまでの9年間は大きな成功を収めてはおらず、80年代にリリースした4枚のアルバムは皆酷評されていたが、これを機に音楽評論家からは「90年代に最も成功したメタルバンドの1つ」と賞賛された。